2017年8月15日 (火)

公的年金制度のありがたさ

 ネットで見かけたニュースで、年金が11万円しかもらえないので、いったん隠居したが再び働きだして、3か所掛け持ちで苦労しているという69歳の人の記事が出ていました。「年金は少なくて、日本の社会保障はひどいね」と読者に伝えたいという記事に思えました。

 しかし、この方についていえば、そもそも65歳で年金を受給しはじめる際に11万円ってわかっていたはず。それで十分な暮らしができるかどうか、判断できたはず。実は、公的年金制度は、70歳までの受給繰り下げの制度があります。70歳からの受給開始すれば42%アップになり、金額にすれば約15万円の年金受給額になったわけです。月額4万円、年間50万円近く違うなら、65歳からの5年間、何とか仕事を続けて、貯金を取り崩してでも15万円の年金をもらうようにするという手もあったと思います。60歳台は、働けれるけれど、70歳代、80歳代になったら難しいわけですから。

 この年金受給の繰り下げ制度って、意外と理解されていないし、活用されていないと思います。という話をすると、「平均寿命とか考えると、早くもらわないと損しちゃう」とか言う方が多いです。しかし、平均寿命って、今、生まれた赤ちゃんが平均で何歳まで生きるか?という期待値です。当然、65歳まで無事に生きた人の平均余命は、平均寿命より長い。男性でも85歳とか90歳まで生きちゃうかもという前提で老後設計をすべきです。女性の場合だと、65歳の段階で足腰に問題なかったら、90歳かと95歳まで生きるかも、80歳の段階で足腰に問題なかったら100歳まで生きるかも、くらいの老後設計が必要なのではないでしょうか。

 という観点では、死ぬまで受給できる公的年金は「長生きリスク」に備える保険。保険というと、死んだり、病気した時の保障を思い浮かべますが、長生きしすぎることもリスクです。だって、90歳になったら、さすがに働けないし、うっかりすると子どもが先に死んでいるかもしれないし、昨今、未婚のままの一人暮らしの人も多いです。その時に一定のお金が入り続けるのは、ありがたいんだと思います。

 死ぬまでもらいつつけることができる公的年金の有難味は、こういう点にあるということを再認識したいものですね。

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2017年8月11日 (金)

AIは公認会計士の仕事を奪うのか

 8月10日の「羽鳥慎一モーニングショー」の「そもそも総研」のコーナーで、「AIに仕事を奪われる?」という番組があり、日本公認会計士協会の手塚常務理事の映像コメントが出ておりました。元ネタは、オックスフォード大学・野村総研のAIの発展で無くなる仕事という調査レポートです。もう、出てから1年は経ちますけど。

 番組では、「監査は、判断をする仕事なので、証拠を集めるプロセスがAI化されることはあっても、監査という仕事はなくならない」という雰囲気で放映されました。これは、事前にIT委員会で常務理事がこんな方向性で話そうと思っているんですよ、と言っていた通りのきれいなコメント。テレビに取材って、先方の意図と合わないと強引な編集されたりして、嫌な思いや最悪の場合、「なんでそんな発言したんだ」と周囲から怒られる羽目になるんですが、手塚常務理事、お見事でした。私も出席しているIT委員会の担当常務理事なので、ちょっと安心した次第。

 実は、番組でも、当意即妙の対応が求められるアナウンサーとかタレント、そのほかコミュニケーションが必要とされる仕事は残るというコンセプトでまとめていたので、「判断があるから仕事は変わっても消えることはない」という発言が生かされたのだと思います。

 という番組の放映があったその日に東芝の財務諸表に対するPwCあらた監査法人の限定付き適正意見の公表があったわけですが、あそこでの限定付き意見の論拠を読むと、つくづく監査って判断の業務だと思います。監査計画の立案プロセスでリスク判断の資料収集やその分析、あるいは判断の基礎となる証拠収集の一部は、AIで集めることで質が上がりますが、最後の判断は人間なのだと思います。そして、今回のPwCあらた監査法人の場合、おそらくは関係省庁などとの調整なども経て、落としどころ探しの結果としての「限定付き適正意見」だったのだと推測しています。公認会計士の仕事は、なくなることはないと確信する次第です。

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2017年8月 9日 (水)

企業の実力は経営者の本気度で変わる

 コンビニエンスストアのレジには、年齢キーがついているというのは良く知られた情報だと思います。小学生以下を示す「12」キーから50歳以上を示す「50」キーまでが男女別に並んでいるようです。このキーを押すことで、どういう年齢層にどういう商品が売れたかを把握できるし、時間帯別の顧客の年齢層が把握できるわけです。日経ビジネスオンラインの記事によれば、ファミリーマートは、この年齢キーを廃止するとのこと。
 
 というのは、このキーは、忙しくなってくると一番押しやすいところを押す、みたいなことをやって不正確な運用になってしまい、そうでなくても複雑なコンビニの業務を複雑にしてしまうからだという理由のようです。
 
 「きちんと押してくれないからやめる」ことも現場の実態に合わせた1つの経営です。しかし、私の持っている情報によれば、この年齢キーをきちんと押す度合いは、セブンとファミマ、ローソンでは違いがあるのだそうです。セブンは、きっちり押しており、ファミマ、ローソンはいい加減だという話。逆に言えば、セブンは、このデータをきっちり分析しているから、いい加減な押し方をしている店が浮き彫りになり、そこの店長がエリアマネジャーに怒られる、店長が店員さんに徹底を周知する・・・という流れがあるのだということになります。これがセブンイレブンの売上の原動力の1つだとしたら、ファミマのキー廃止は、大事なデータの入手手法を自ら捨てることになります。
 
 「この年齢キーは、ちゃんと押せ。これが当社の成長の源なのだ」と熱く訴え、「混雑時間帯に客が待っていようと、ちゃんと押すのに0.2秒もかからない。ちゃんとやれ」と言うかどうか。実は、それが年齢キーの精度を決めるのです。せっかく得られるデータを本気で使うかどうか、経営陣の執念や本気度が企業の実力を決めるのではないでしょうか。人工知能やビッグデータの時代です。こうしたデータの収集を放棄するファミリーマートに疑問を感じた次第です。

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2017年7月30日 (日)

正社員への求人が初の1倍超え

 平成29年7月28日厚生労働省発表の雇用統計が私が気づいた範囲では、日本経済新聞、毎日新聞の夕刊に記事として出ていました。それによれば、正社員の求人倍率が1倍を超えたというのです。「1倍を超えて求人が求職を上回るのは2004年の調査開始以来初めて」だそうです。日本経済新聞の記事はこちら
 
 定年延長や再雇用での人もついに引退という状況になって、正社員が足りなくなったということではないかと思います。また、非正規での募集では全く人が採用できないので、解雇しずらいといったデメリットになりふり構わず求人に走り始めたということかもしれません。
 
 これで一人当たりの給与も増え、消費も増え、そうすると需要が増えるので雇用は一層タイトになって、非正規社員の給与単価も上昇して、物価も上がり始めて、投資が収益を上げられる見込みが出てくると資金需要も増えて、金利も上がり、貯蓄が多い高齢者の所得が増えると高齢者の消費も増えて・・・とみんなが豊かになる時代がきたらいいなぁ・・・と心底思う次第です。
 
 この雇用統計の伸びは、2009年というリーマンショックの翌年からスタートしていますので、アベノミクスの成果だとか民主党時代の成果だといったものではなく、団塊の世代が引退し、新たに生産人口に加わる18歳周辺の人口が少ないという人口構造によるものかもしれません。しかし、正社員が増え始めるかもしれないという喜ばしいニュースだと考えれば、もっと多くの人に知ってもらいたいなぁと思った次第です。

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2017年6月 6日 (火)

「公益」資本主義~原丈人著を読みました

 「公益」資本主義 英米型資本主義の終焉 (文春新書)は、英米型資本主義の終焉というサブタイトル通り、旧来の日本の経営、従業員を大事にして、三方よしの理念こそがこれからの時代の経営スタイルであるべきだ。株主資本主義で、投資家が儲け、それに尽くした経営者が莫大な報酬を得るというアメリカ型の経営は、ダメだと断じる書です。

 実は、ジャパン・アズ・ナンバーワンと同じような気がしないでもないのですが、あの頃は、「アメリカは、四半期決算なんかやっているから、3か月で成果が出せる経営に走って、5年後10年後を考える経営者がいないんだ」といった話が出ていましたが、今や、日本も四半期決算。このままでは、日本は、ずっと駄目になるという危機感から書かれた本になっています。

 この本によれば、コーポレートガバナンスコードなども株主資本主義によって、作られているからダメだということになり、であるならば、日本企業を評価するにあたっては、「コンプライ」ばかりの企業は駄目で、「エクスプレイン」がたくさんある会社、そしてその記述内容が素晴らしい会社がよい会社だという判断基準になりそうです。

 公益資本主義の3本の矢は、(1)中長期投資、(2)社中分配(企業を支える仲間に分配)(3)企業家精神による改良改善(P.161)だと著者は、言います。そして、カジノ資本主義ではなく中長期の勝負、ゼロサムゲームではなくプラスサムゲーム、一部の超富裕層と大多数の貧困層を生むのに対して、層の厚い中間層を生む、英米の金融界やウォール街が望む資本主義ではなく世界の大多数の国民が望む資本主義(P.172)という違いがあるのが公益資本主義なのだそうです。

 久々に、読んでいて気持ちが良くなってくる本でしたので、ご紹介する次第です。

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2017年5月24日 (水)

子ども・子育て拠出金の料率の引き上げ

 5月の社会保険料の納入告知書を見て気づいたのですが、社会保険料の内訳の1つである子ども・子育て拠出金ってさりげなく15%も引き上げだったんですね。そもそも0.2%だったものが、0.23%に変わっても、そもそも率が低いので気づきにくいんですが。
 
 以前は、児童手当拠出金と言っていたので、名称も変わったので、ちょっと根拠法令を調べてみました。元々は、児童手当法という法律があったようで、平成24年8月に子ども・子育て支援法が施行され、その一部改正が平成28年4月に施行されていて、28年に0.2%、29年0.23%へと上がったのですね。これで1300億円の財源が確保されて、仕事・子育て両立支援事業が新設されたりしているそうです。消費税1ポイント2.5兆円に比べれば小さいけれども、知らないうちに引き上げられた感があります。ちなみに参考資料は、こちら
 
 この資料を見てみると、「【法案の必要性】第二の矢「夢をつむぐ子育て支援」の実現に向けて、事業主拠出金制度を拡充」という記述があり、アベノミクスの一環なんだということがわかります。子どもの支援をして、国民の教育水準を高めつつ、お母さんにも働いてもらおうという政策です。そして、その負担は、社会保険の事業主拠出金なので、福祉を受ける個人ではなく、雇っている企業が子育てのためにお金を負担しているんだから、税金みたいなものですね。メディアも、企業が負担する「税金」だとあまり騒がないので、いつの間にか負担が増えているということが起こります。「あれっ」と思ったら、皆さんも調べてみることが大事かもしれません。

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2017年5月 8日 (月)

行政改革って、増税より優れているのだろうか?

 高校・大学の無償化といった議論が出てきていて、小泉進次郎さんは、「子ども保険」なるものを提唱し、橋下さんは、行財政改革と相続税増税を提案したようです。少子高齢化もあり、高齢者向けの社会保障費がどんどん増え、それを少ない現役世代が払っていこうとすると、どうしても無理が出ます。かくして、国債発行で帳尻を合わせてきたけれども、財政赤字が無視できない金額になってしまった。かくして、国自体が成長しないと現役世代に負担してもらうのも厳しいから、成長のための国力アップの施策が必要で、それが高校・大学の無償化の議論なのかもしれません。また、高齢者ばかりに社会保障では、現役世代は、受益を感じることができず、結婚もせず、子どもも生まれないということに気づき始めたのかもしれません。

 しかし、新しい施策には、お金が必要。国民の懐に手を突っ込むか(増税)、厳しい行政改革をしないといけない。と言われると、行政改革の方が好ましいように思うじゃないですか。でも、行政改革だって、行政が無駄遣いで購入していた物品を納品していた会社の売上が消えることを意味するのであり、もらえていた補助金・助成金が無くなることを意味します。当事者にとっては、極めて大きな痛みを感じる改革です。

 つまり、行政改革を断行!ってのは、財源を広く国民に求めるのではなく、無駄遣いを見つけ、無駄遣いの商品やサービスを納品していた会社の売上を奪うことにより、特定の人たちにだけ痛みを集中することで、特定の人以外の国民全般からの人気を得る施策でもあるといえないでしょうか。もちろん無駄遣いの排除は重要ですが。

 私の仕事のかかわりで言えば、法人住民税の申告書用紙は、市町村ごとに紙質違うし、微妙に枠などが違いますが、記載内容は地方税法どおり。全国一律で印刷すれば安い!とか思ったりします。行政改革の一環で全国一律で印刷するとどれくらいコストが浮くでしょうね。でも、そうすると、各市町村の小さな印刷屋さんの大事な売上が消えちゃうんだろうなと思います。ということは、もし、そういう行政改革をするなら、市町村ごとの小さな印刷屋さんが倒産することも想定し、もし、倒産したら生活保護世帯が増え、銀行が貸倒損失を負担するかもしれず、そうしたセーフティネットの支出や法人税収の減少は、回りまわって国民が負担することになります。つまり、行政改革って、国民に痛みを与えない施策というよりは、国民のごく一部に大きな痛みを与え、多くの国民には見えない形でその痛みを付け回す手法ともいえるのではないかなと思った次第。

 行政改革って、聞こえはいいけど、特定の人たちに痛みが集中するから、そこからの反発は大きくて、たとえば、「2番じゃダメですか?」に対して、「スーパーコンピュータは世界一でないとダメなんです。」ってノーベル賞科学者まで動員して反対意見が陳述されたりするわけです。たいへんな摩擦の中で実行した挙句、結局、痛みを感じずらいだけで一般国民にも痛みが付け回されるんだったら効率の良い政策じゃないなぁと思ったわけです。もちろん、無駄遣いはいけないから、そうした吟味・検討はしないといけないんですけどね。要は、増税と行政改革は、両方とも同じような結果をもたらすけれども、国民が痛みを感じずらいかどうか?の違いにすぎないのではないかと。少なくとも経済学的には、財政支出を減らすことも増税も国民所得を減らしますので、たぶん、そうなんだと思う次第です。

 と書かれても何か納得できないという人、財政支出とその効果を区別するとよいと思います。ものすごい田舎に100億円で1日に50人しか使わないトンネルを作るのと築地に環状2号線のトンネルを100億円でトンネルを作るのでは、財政支出額とその国民所得への効果はとりあえず同じです。しかし、より多くの国民に喜ばれ、「投資の効率性」とか「より有益な使い方」という意味では、明らかに違いがあると思います。ですから、行財政改革は大事ですが、それで浮いた金額で国債や地方債を償還したりすると、国民所得にはマイナスです。不効率な使い方を効率的な使い方に組み替えていけば、経済学的には中立で、その効率性が何らかの形で将来に寄与するということだと思います。

 

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2017年5月 7日 (日)

投資信託が売れない

「投資信託が売れない」、これは、日経の今朝のトップ記事です。「投資を信じて託す」はずの投資信託が高額手数料で利用者を搾取してきた結果の不信。信じられない信託は売れなくて当然だと思います。毎月分配型が売れていたということ自体、本来、投資信託を売ってはいけないような無知な人に投信を売ってきたということの証左だと思う。だって、長期投資が有利だから投資信託のはずが、元本からの分配というたこ足配当するような商品が売れるって変です。金融庁に毎月分配型なんか売るなと言われて、売れなくなった現状こそが正常だとなのではないかと思います?
そもそも、おいしすぎるビジネスだから、あちこちの会社が売り出すわけで、6000本は、多すぎでしょ。正常化の過程で、本数は1/10以下に減ってもよいのではないかと考える次第。

 

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2017年3月25日 (土)

スマホ撮影保存でホワイトカラーの生産性をアップ

 私がシステム・ベンダーさんのセミナーなどの講師をする際、パワポの締めくくりで、スキャナ保存とアベノミクスみたいな話をします。なんでアベノミクス?と思うんでしょうけど、領収書の保存を電子化することは、同時に経費精算のシステム化になり、生産性がアップするはずなんです。

 GDP500兆円弱を600兆円にするというアベノミクスが成功すると、経済は2割増しで稼働するわけ、生産人口が減っているのに。だから、女性を労働市場に引っ張り出すとかしているけど、それは量的拡大にすぎません。それだけでなく、生産性のアップという質的拡大も必要だろうと。つまり同じ労働人口でも生産力をアップする方策がないといけないはずです。

 その生産性アップの手段の1つがスキャナ保存であり、経費精算のためだけに帰社するとかしないで、経費の領収書をもらったらスマホで撮影して、サーバーに送ります。これで経費精算がスタートすれば、直帰とかもできて、ワークライフバランスも向上するわけです。ただ、いまいち浸透していく実感を感じないのですが、この辺りが日本のホワイトカラーの生産性が低いと言われる原因で、業務フローに踏み込んで改善しようというパワーがないのかもしれません。

 だから、システム部門とか経理部門だけで導入の検討するんではなくて、現場も巻き込んだプロジェクトチームを作って、じっくり検討するべきものだ、スキャナ保存システムは。複合機を入れ替えよう!みたいな話とは違うんだと言っているんですけどね。さて、まもなく4月で、新年度入りします。企業のシステム部門の予算の中に「経費精算システムの改編」という項目は入っているのでしょうか。

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2016年12月 7日 (水)

トランプ次期大統領の35%の関税って

 トランプ次期米大統領は、12月4日、「米企業が工場を国外に移転した場合には、その国外工場から米国に輸入する製品に35%の関税を課す」とツイッターに投稿したそうです。一般的な経済学の観点からは、貿易によって、交易を行う双方の国が豊かになると言われますので、トランプさんの発言は、一見するとトンデモ発言です。つまり、18世紀のイギリスであれば、ラシャとワインの両方を無理に作るより、そして、ポルトガルもラシャとワインを自国用に作るより、イギリスはラシャに特化して、ポルトガルはワインに特化してこれを貿易でやり取りすれば、より安くて品質が高いラシャとワインを両国民は消費でき、消費量も増える(価格が下がるから)ので経済厚生は高まるというのが比較生産費説という貿易を論じる経済学説です。
 このニュース以来、国際貿易の効能よりも国内の雇用や安定を優先するって考えはありなのか、あるいは鎖国的な政策で雇用を確保するのは、合成の誤謬にすぎず、結果として国全体、そして世界全体の社会厚生を落として、デフレと同様にみんなが苦しい思いをするのだろうか?などと考えています。つまり、各国が農業、漁業、工業、サービス業などを一定割合で持っていて、ある程度自給自足的に成り立っていた方がよいのかどうか?ということを考えております。
 実は、業種、職種を超えての職業の転換がシームレスであるならば、農業が廃れた国の農民は、都会で工場やサービス業に行けばよいわけです。しかし、そんなことは、すべての対象者ができるものではありません。農業に限らず、旋盤工は、ミクロン単位で削れるから彼の仕事に付加価値があり、本人の満足がある。その旋盤工に畑仕事させても、トラックドライバーさせても、給与は変わらなくても本人は不幸なのではないかなぁ。旋盤工の仕事がある国へ行って、そこでやればいいじゃないという発想も、やはり現実的じゃないです。
 職や住まいを変えるって、たいへんなことだと思います。それを考えると、京都で両替商をやっていた明治時代の三井さんが東京へ出てきて、銀行業に転換したり、写真フィルムを捨てて医療や電子事務機器へ軸足を移した富士写真フィルム、家康と一緒に浜松から江戸へ移ったであろう商人たちは偉いなあと思う次第。それが簡単ではないことは、NHKの「あさが来た」を見ていても(ちょうど1年前の朝ドラ)、コダックやポラロイドのチャプターイレブン申請(日本の民事再生法に相当します)を見てもわかるわけですが、そういうたいへんなことを国民一人一人に期待するということ自体、政策としては下の下です。それなら、トランプさんの言っていることは、立派なことなのではないか?ということにはなりはしないでしょうか。
 国際貿易の利益を説く際のラシャとワインにしても、イギリスの中でも辛うじてブドウが生産できる場所で細々とブドウを作ってワインを製造している人にまで、「マンチェスターへ行って毛織物工場で働け」って言い、ポルトガルで羊飼って毛織物を作っている人たちに「ワイン工場で働け」というのはマクロはともかくミクロ、個々人の幸福感で言えば間違っています。大きな傾向として、イギリスのワイン業者は苦しくなり、ポルトガルのワイン業者は業績を伸ばしやすいということは説明できても、当事者がそうするべきかどうかは別の問題。そうはできない人がいるなら、その人たちに国は何をするべきか?という話です。産業保護をするべきか、自由競争の結果に任せて、敗れた人には生活保護などのセーフティネットを用意すればよいのか。自由競争じゃダメなんじゃないの?と言っているトランプさんが自由競争主義の共和党から立候補していたのは、大いなる矛盾ですね。そうか、それだから、社会福祉は大事だという民主党から票がトランプさんに流れたのですね。
 経済学的な帰結としては、どんどん貿易が進むということであっても、それが国民を不幸にするなら、経済学はそれを抑制する理論を構築すべきだと思われます。経済学の理論として、こうなっていく方向になる(なりやすい)というのと、市場参加者が全員残らずその方向性に従うべきだというのは別の話だからです。そして、「そうなる方向」がよろしくなければ、例えば、独占、寡占に対しては弊害があるという帰結なので、放置しないで独占禁止法や政府による価格規制などが行われますし、公害といった負の公共財についても税金、賦課金で生産費を引き上げたり、公害を生まない代替財に補助金といった政策介入を提案するわけです。それであれば、「トランプの言うことは経済学の論理をわかっていない」とか批判するのではなく、「過度な貿易は、各国の国民を不幸にしたりはしないか?放置していてよいのか?」と、仮定や前提を吟味する丁寧な検証が必要なのではないかと思うわけです。
 財政学者の神野直彦先生がフィンランドの話を書いていて、向こうの村人が「食料品が高くて困る」というので「ヘルシンキまで1時間もあれば車で行けるのだから、ヘルシンキの量販店で買えばいいじゃないですか」と言ったら、「何言ってるの。そんなことしたら、村の食料品店が潰れてしまうじゃないの」と言われたというのです。非効率ではあっても、自分たちの近隣を大事にするというのは、経済原理のような効率性とは別の観点から大事なことなのかもしれません。それであれば、自分の得意な仕事で働ける幸せを確保するために、貿易を制限して、みんなで少しずつ高いものを買うことを許容するというのは、国というコミュニティの維持のために大事なことなのかもしれません。今回は、少し長い文章になってしまいました。

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