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2011年9月23日 (金)

IFRSは、公正価値概念なのか?

 本日、「IFRSに異議あり」(岩井克人、佐藤孝弘著)を読み終わりました。この本の第3章「公正価値と自己創設のれん」を読んでいるとき、大学生の頃からの疑問がふと思い出され、Twitterで連続20くらい呟いてしまいました。そのログをまとめて、整理したものがこのブログです。

 上記の本を読みながら、久々に資産の本質を考えました。本ではIFRSは、資産負債アプローチであり、日本の収益費用アプローチと違うといっています。資産負債の公正価値の増減を包括利益とする概念だといいます。IFRSでは、資産の本質は、「過去の事象の結果として企業が支配し、かつ、将来の経済的便益が当該企業に流入すると期待される資源をいう」とされています。これは、「サービスポテンシャルズ(用役潜在性)」などと定義された1960年代半ば以降のアメリカの会計学での資産の定義の延長線上にあるもので、あまり違和感を持つ人はいないように思います。しかし、大事なことは、「将来の経済的便益の期待」を資産としていることです。退職給付や資産除去債務は経営者の恣意性を恐れず見積計算、つまり割引現在価値の計算をするのに、資産の計上は、取得原価で計上させます。なぜでしょう。それは、「取引時価=公正価値」という仮定を置いているからではないかと思います。これは、学生時代にそんなことを学びました。

 資産の本質が将来のインカムであるならば、測定はそのインカムの割引現在価値であるべきではないでしょうか? それなのに取得原価を使うのは、Twitterでコメントを返してくれた@k_z0217さん(平山さんという公認会計士の方)が書かれるように認識が大変だからでしょう。しかし、負債には、あるいは減損の計上時には割引現在価値を使わせるのだから、不可能じゃないのではないでしょうか?

 資産の本質は、FASB、いやアメリカ会計学会(ASOBATだったかしら)の頃から用役潜在性とか言い出して、国際会計基準で今の将来の経済的便益という概念に至っています。けれども、両方に共通するのは、将来のインカム(ないし将来のキャッシュフロー)が資産だと言いながら、測定は取得原価ですること。そこには「取引時価=公正価値」の仮定が前提にあるとしか思えません。大学の頃から、資産の本質には興味があったんですが、その頃には資産除去債務みたいな概念はなかったです。それでも、本質の判定と測定法のかい離の理由は気になっていたんです。

 当時から、こんな風に思っていました。将来の収益を割引現在価値にしたものが、完全競争市場における時価だろう、だから、取得原価が将来の経済的便益の測定法として利用できるのだという説明を聞いたことがあるが、完全な完全競争市場などあるのだろうか。
 駅前の店舗で普通の商売人が商売をやって見合う利益の割引現在価値で5千万円という評価があったとします。吉野家やすき家ならその店舗で8000万円稼ぎ出すだろう。それであれば、吉野家は8000万円で資産計上するべきなのではないか? 経年劣化や周辺の人口変化などで不採算店になったら、その時点の収益還元で減損を計上するのだから。

 ここで8000万円と5000万円の差額が自己創設のれんです。ここで@k_z0217さんが「自己創設のれんを計上しようとするなら、当該のれんの相手勘定は株主資本とするしかない。なぜなら、自己創設のれんの取得価額は、過去の支出により連綿と形作られた無形価値であるからである。」と言われました。確かにそうでしょう。3000万円の利益ではなく、株主資本が計上され、包括利益はプラスとなる。そんな会計のイメージでしょうか。純粋な資産負債アプローチの理論を貫徹するなら、そうするべきなのに、なぜ、そうしないのでしょうか。

 そこで、思いついたのです。実は、IFRSの理論なるものは、結局は、投資家の立場からは「将来の損失を早めに開示させたい」という保守主義的、損失の早期計上歓迎期待に合わせるために、それらしく公正価値会計という理屈をつけただけで、実は、屁理屈なのではないいでしょうか?

 ここで@k_z0217さんがこう呟きます。「自己創設のれんが、過去の支出の積み上げにより測定されると仮定すると、その支出を少しずつ資産計上すべきものだ、とする考え方が成り立つ。一方、その無形価値は、ある日突然生じるものであり、そのタイミングで資産計上すべきであるという考え方もできる。」

 のれんが失われていることが判明した場合の減損の計上が、減損の兆候を把握して、そこで認識、測定をして突然計上するのであれば、超過収益力の存在の兆候を認識したら、そこで測定して計上することを強制する余地はあるはずです。日々、取引ごとに自己創設のれんの認識計上は無理でも、一定時点ごとの実務ならできなくはないはずです。設備投資計画時点で超過収益力を認識していて、実際に初年度の店舗損益からもそれが裏付けられたならば、その時点でも自己創設のれんを計上させない積極的理由はなんだろう。設備投資に当たっては、投資回収計算などをするはずなので、そこで超過収益力の認識はできるはずです。なので、少なくとも有形固定資産については、自己創設のれんの認識は不可能ではないはずです。にもかかわらず、それを強制しないなら、そこに資産負債アプローチだと公言し、資産の本質などから導かれる必然的な会計処理とのかい離が存在していると指摘してもよいと思うのです。減損の計上は、強制しておいて、その逆の自己創設のれんの計上は強制しない、これは矛盾ではないですか。

 理論的には公正価値会計なのだから、そうあるべきです。でも、すべての資産に時価測定を義務付けるのでは、実務が持たないから妥協なんでしょうか。負債項目には妥協しないのに? 少なくとも固定資産くらいには、認めないと公正価値会計であると胸を張ることはできないように思います。

 そこで、前述のように投資家が「思わぬ損失計上は勘弁してくれ。減損会計や資産除去債務の計上をきちんとしてくれ。そうすれば少なくともこれ以上悪くなることはないので、数字として読める」という要望を持っていて、それを実務に取り入れていったら、その会計基準から帰納的にすべてを説明できる会計理論を作ったら公正価値会計になってしまった。でも、実際のところは、取得原価主義会計に投資家要望による損失早期計上歓迎期待主義を取り込んだに過ぎないのではないか?という仮説が出てきてしまい、これを否定する論拠は出てこないように思うのです。もちろん、IFRSのフレームワークには、財務報告の利用者の定義もあり、その利用者に役立つフレームワークなのだから…と言う論理性はあるんですが、そもそも、ニーズに応じて個別の基準を作って、相互矛盾を起こしたのが、FASBやIASの歴史。個別基準をだいぶ作ってしまってから、概念フレームワークを作る。

 といった議論を日本の会計学者や法律学者(会社法も金商法も法律ですから)が英語で論文書いて、世界の人と議論していてほしいものです。しかし、たぶんやっていないでしょうし、期待もできないかもしれません。私が大学で会計学をやっている頃、「輸入会計学だ」と自虐していたのと現状は全く変わっていないように見えます。昔は、アメリカ会計学会やFASBが輸入対象だったものが国際会計基準になり、IFRSになっただけ。「IFRSに異議あり」ではそういう辺りについて本質論を議論してから導入するしないの議論をしているのか?と言っています。我々は、もっとフレームワークとその背後にある論理性についてきっちり議論をするべきだったのではないかと。

 という意味では、制度を作る方々には、「IFRSに異議あり」をぜひ読んでいただきたいものですが、どなたかIFRSに詳しい方がいらっしゃいましたら、私の「IFRSの公正価値会計はまやかしで、実際のところは、取得原価主義会計に投資家要望による損失早期計上歓迎期待主義を取り込んだに過ぎないのではないか?」という仮説が間違っていることをご説明いただけないでしょうか。

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